第6回「行列のできる塗り替え相談室」
第6回 「行列のできる塗り替え相談室」 10:30~ 放送分
(大塚さん)
もうずいぶんと回も重ねてきまして、今回はちょっと海外に行枯れたという事でお土産話を聞かせて頂けるという事なんですけれど15分間どうぞよろしくお願いします。
(大町)
はい、よろしくお願いします。
(大塚さん)
さあ始まりましたけれど、大町さん、どこに行かれたんでしたっけ?
(大町)
東ヨーロッパのリトアニアっていう国、リトアニア共和国ですね。
に行ってまいりました。
(大塚さん)
はい。
何をしに?
(大町)
えっとですね、杉原千畝っていう77年前にですね、第二次世界大戦のときにドイツの方がですね、ああドイツの方っていうかユダヤのリトアニアの人をどんどんどんどん処刑していってたんですね。
外交官である杉原千畝がですね、ビザの発給っていうのを実は外務省の方では許可されてなかったんですが、人命には買えられないという事で、自分の家族がもしかしたら処刑になるかもしれないという中でビザを発給したんですよ。
それを発給しまくって6000人の命を救ったという事でそれがものすごい尊い行いなんですが、その建物がですね、77年もたつと老朽化して、雨漏りもして、壁も外壁もボロボロで、このままじゃ日本の大和魂っていうのが失われて無くなってしまうんじゃないかって事で私たちがボランティアで復旧して参りました。
(大塚さん)
向こうの方がされるのではなく?
(大町)
そうなんですよ。
向こうが余りですねあまり裕福な国じゃないんですよ。
それで塗魂ペインターズっていう私たちのボランティア活動をしている団体があるんですけど、何とか私たちの手弁当で直すからとにかくこの建物を残したいんだ、後世のという事で一年半の間交渉の方を続け、そして許可をもらいですね、ラジオなんで見えないですが実は私今日着ているTシャツがですね、その杉原ウィークというのを国を挙げてやっていただきまして、そしてその一週間の間で塗装工事を完成させるんだっていう意気込みで行ってまいりました。
(大塚さん)
すごい、杉原千畝って刺繍されてますね。
(大町)
そうなんですよ。
(大塚さん)
すごい、ウィークもちゃんと書いてあるしTシャツも全然見てなかった(笑)
素敵ですね。
そういえばさっきちらっとお土産頂いて嬉しいなって、ほんとにもらえたって思いましたけれど。
そういう事で行かれてたんですね。
何人くらいで行かれるんですか?
(大町)
えっとですね、全部で60人、日本から塗装屋の社長が集結いたしまして日本の塗装技術の高さをなんとか、世界遺産になりますんで守りたいという事で、実はそこに使われた塗料なんですが、世界遺産とかを守る用の塗料で、私達使ったこと無いんですよ。
めっちゃ大変やったんです。
(大塚さん)
そんなにプロなのにまだ使ったことのない塗料があるんですか?
(大町)
日本の塗料の常識では考えられないんですよ。まず気候が違いますんで。
夏が無いんですね。
(大塚さん)
今は?夏が無いんですか。
(大町)
今は秋ですね。
夜はもう5度、6度の世界ですから、滅茶苦茶寒かったですね。
それでですね、まず外壁を塗ろうと思って調べるとですね、アルカリ性が強くてですね、ふつうに塗ったら剥がれるんですよ。
それに気づいたんで、酸を塗ることになったんですよ。
ただすべて向こうで、道具とかもまず電圧が違いますし、電気のプラグが違うんで向こうで調達するんですが、そのホームセンターが大きすぎまして、イオンが5個くらいあるんじゃないかって(笑)
(大塚さん)
まあ大きなホームセンターですね。
(大町)
でかいとおもいまして。
それで私の片言英語で向こうもリトアニア語なんで、しゃべる人もごく少数なんですよ。その片言のジェスチャー同士で何とかものを集めまして、ただ一つ見つからないものがありまして、柄杓という水を量るものがありまして何杯汲んだからって測るやつなんですが、無いんですねその概念が、だから写真見せてどんどんどんどん連れて行ってもらうところには、お玉しかないんです。
(大塚さん)
どうするんですか?
(大町)
代わりにこういうもので代用できるだろうっていうものを頭で考えてですね、それを買うと。
ただですね、それが結構杉原千畝ハウスから離れてるんですよ。
そして足が捕まらないと。
(大塚さん)
なんとまあ
(大町)
ただそこでですね、向こうのテレビでは、新聞でも一面で僕らの活動を取り上げて頂いていたんですね
(大塚さん)
素敵な事じゃないですか、はい。
(大町)
それで寒くて震えていて大量の荷物を僕もって大通りで待っているとですね、後ろから「杉原ハウス?」樋って外国人の夫婦が声をかけてくれたんですが、まあジェスチャーで乗れと言っているのは分かるんですが、外国で知らない人の車に乗るのは怖いじゃないですか。
ただ、向こうもちょっと怖がってるのが分かったんでしょうね、スマートフォンを取り出して困難であなたたちの活動をいろいろ見ているんだというのを見せてもらいまして、それで僕も甘えて荷物も大量に積み込んでのしてもらったんですよ。
ただ向こうも片言英語で僕も片言英語で会話もままならないんですが、何度も何度も握手してですね。
(大塚さん)
気持ちが伝わる感じですね。
そうなんだ、素敵な話。
(大町)
はい。
そうなんですよ。それで色々あって僕がまた会いたいという事で、外務省の方にも行かして頂きまして、大使館ですね。
その大使館の中でそういう話をするとですね、向こうの新聞で尋ね人というコーナーがあって、僕がその人にお礼を言いたいというのが記事になるらしいです。
(大塚さん)
おおーすごい
(大町)
もう涙が出るような感動がいろいろありました。
(大塚さん)
なんか不便なんだけどそこから生まれる友情だったり。
すごい愛を感じます。
(大町)
そうなんですよ。
外国なんで何があるか分からん。
それに、直行便がありませんので、まずフィンランドまで行くんですよ。
それが十何時間かかりまして、そこからリガ空港ってとこまで、飛ぶのは一時間くらいなんですが、手続きが時間かかるじゃないですか、そのあとに4時間位バスに乗ってホテルまで行って杉原ハウスの近くのホテルまで行くんですが、もうお尻が痛くてですね。
(大塚さん)
もうくたくたですよね。
(大町)
くたくたですね
(大塚さん)
それは、その60人の方っていうのは、各々杉原ハウスを目指して集合なっていう?
(大町)
そうです。
関東から、福岡から九州から関空からってことでみんながフィンランドのヘルシンキ空港ってところで全員で集合しまして、もう会うだけでですね、心細かったんですかね。
(大塚さん)
良かったー
(大町)
良かったー居ったーとかですね。
ただあの荷物とかがですね帰ってくるときに届かないとか、結構アバウトなんですねそのあたりは。
(大塚さん)
ああーないのー?
みたいな感じなんですかね。
(大町)
その辺はちょっとがっかりやったところはあるんですが、まあこれも海外かなと。
(大塚さん)
ご愛嬌というかね。
お土産話の一つとしてなりますけれども、無事そうやって色々ありながらもできたんですか?
(大町)
その塗料なんですけど、向きと言って完全に自然で出来たものだけなんですよ。
まず一つガラスを溶かした塗料。そんなもの暑かったこと無いんですけど、それに対して、なんか粉を入れるんですよ。独特な変わった粉です。
それにい水を入れて混ぜるんですが、その混ぜる撹拌機っていうのが無いんですよね。
日本のやつがすぐ壊れちゃいまして、電圧が違い過ぎて。
それでですね、コンクリートを混ぜるやつを買おうと思ったんですが、滅茶苦茶高いんですよ。日本の3倍くらいするんですよ。
それもその場でしか使わないんで出来たら安くして「プライスダウン」とかちょっとでも伝えて頑張ったんですがならないと。
それでですね、みんな手弁当でボランティアできてますから食事もホテル代も旅行費もですから、これ以上は負担かける訳に貼って思ってるとレンタルっていう仕組みがあったんですよ。
ただレンタルするにも僕の語学力で、向こうがいろいろ言ってお互いに悪気はないはずなんですが、伝わらないんですよ。もうジェスチャーで汗だくなりました(笑)
作業よりそっちの方が付かれたんちゃうか(笑)
(大塚さん)
そっか。伝わらないとジェスチャーになるし、そのジェスチャーも伝えらないとなるともういーってなりますね(笑)
(大町)
それでも向こうも頑張って伝わろうと頑張ってこっちも伝えようなんですが、ジェスチャーがおっきくなってですね、それを見てる周りのお客さんが笑ってまして(笑)
(大塚さん)
あの人たち何して遊んでるの?って感じですね。
(大町)
ただ僕たちの服装が全て塗魂と書かれたテレビに映ってるジャンバーを聞いていましたので、周りの人もちょっとでも協力しよう協力しようという体制で、僕はみんなの前でパフォーマンスをしているかのように(笑)
(大塚さん)
すごい役割を担ったじゃないですか。もう一回りも二回りも大きくなって。
(大町)
そうなんですよ。
後食べ物がね、主食がピザなんですよ。朝からピザはきついなーと思いながら食べ続けて帰ってきたら4キロ太ってました(笑)
(大塚さん)
これはホントに、体も大きくなって帰って来たんですね。
なんか家族の方がそれを見たら楽しそうやねって嫌みの一つでも言いそうですね。
(大町)
ありがたいことに、無事に帰ってきてくれたことで大喜びで。
(大塚さん)
良かったーってことで、ピザの味はどうでしたか?
(大町)
美味しいんですが、三食ピザを食べているのを、8日間、三食ピザを食べるともういいですね(笑)
それでですね、お土産話をするとですね、家に帰って、ピザが食べたくなったんでしょうね、家族が。
(大塚さん)
なりますよそりゃ。食べたいなーって。
(大町)
そしてコストコに行って来ました。
(大塚さん)
大きいですからねコストコのピザ
(大町)
見るのも憂鬱でしたね(笑)
(大塚さん)
まだピザかっていう感じですか?
もうお土産話がピザで一色になりそうな感じですけど。
いろいろ苦労があってここまで来たという事ですけど、完成した写真とか。
(大町)
それがですね、乾くまで三日かかるんですよ。
それで向こうの方が完全に乾いてから養生とか、窓とかを包んでるものを取ると足場もまだ外せないという事で、取れてないんですね。
(大塚さん)
じゃああの、塗っただけで帰ってくるしかなかったと。
(大町)
ただですね、おそらく10月の頭くらいにずっとNHKさんが帯同してましたんで、テレビ放送が決まればまたうちのホームページでいつ放送ですっていうのは書きたいんですが、なんか僕のインタビューも使われるかもしれないっていう。
(大塚さん)
それはもう楽しみでなりませんね。
よく頑張ったねお父さんって言われますね。きっと。
(大町)
はい。もう言われました。
(大塚さん)
すごい誇らしいんじゃないですか、お子さんたちも。
(大町)
あのー新聞にこんなにたくさん載ることは人生でたぶんないだろうなってくらいもう常にテレビカメラが回って新聞記者が来てッていう感じでしたね。
(大塚さん)
まあ見られながらの、いろいろ仕事をしなければいけないなかっていうのは大変でしたね。
(大町)
そうなんですよ。
普通にローラーで500㎡あったんですよ塗るところが、普通の家の大体2.5倍くらいですかね。それをローラーで塗っても時間かかるんですね。それを刷毛で塗らないといけない。
しかも向こうのドイツの設計士の方たちが、私たちに対してですね、ほんとに出来るのか?と。これはドイツのマイスターっていう特別な訓練をした人でも失敗するくらい難しい塗料なんだ。と、そして遊び半分でやるんやったらやめといてくれみたいなことを言われたんですよ。
(大塚さん)
うわー厳しい。
(大町)
そうなんですよ。ただ世界遺産なんで中途半端な感じでは出来ないと。
それで日本人の職人魂に火が付きまして、そして細かい工程をここまでやるかってくらいキッチリやりまして、誰よりももう自信持って言えるのが、日本人の心を一緒に塗って来たっていう自負があるんですよ。
(大塚さん)
届けてきたわけですね。
(大町)
それで最終日に設計士の方が見に来て、全部見渡して一言言ったんです。「グレイト」
(大塚さん)
何よりも素敵な言葉じゃないですか。
(大町)
そうですね。
僕らそれでまあ涙する人もいてましたね。もう汗まみれの大の大人が、ペンキだらけの大の大人がですね、みんなで抱き合ってっていう感動がありまして、日本のペンキ屋舐めんなよっていう気持ちでですね。
(大塚さん)
やってやったぜと。
(大町)
やってやったぜと
(大塚さん)
やってきてくれてありがとうと。
これもう日本代表ですもんね。
(大町)
そうです。
(大塚さん)
素敵な話やった~
でももう終わりなんです。すいません。
(大町)
あっそうですね。
(大塚さん)
またあの来月でもこの続きがあるのでしたら聞かせて頂きたいと思います。
(大町)
もう永遠にしゃべっちゃうんでもっと皆さんにお届けしないといけないことをしゃべっていきますね。
(大塚さん)
そうですね。
とにかく完璧にやってきたでっていう事でしたね。
(大町)
そうです。
日本人代表として、やってまいりました!
(大塚さん)
ありがとうございます。